存在するということへの恐怖
こんにちは。
第2の高度成長という浪漫を具現化するshibuです。
「存在することへの恐怖」
みなさまこんなことを感じたことはありますか?
私は以前、根深い所でこの問題にかなり苦しんでいました。
どういうことか?
私は物心がついたときに、ある確信を持っていました。
それは
「自分自身の本音や感情的な表現をするとかなり否定される」
ということです。
特に「表現」というところがかなり重要で
これをよくよく突き詰めて考えた時に私が無意識で思っていたことは
「結局存在する、例えば何気なく動くこと、手を動かしたり、立ち上がったりすることも相手からみたら表現になる。ということは存在自体が表現することであり、存在することだけでも無意識的な表現をしていることになり、否定されるのではないか?ということ。」
そして常に生まれる不安や恐怖という感情。
存在することへの恐怖
私は常にこの不安や恐怖を抱えたまま生きていました。
ただ、これを抱えたまま日常生活では特に何の問題もなく生きていく。
それが当たり前だと思っていました。
どうすればここを解決できるのか?それは無理なのではないかと。
しかし
私はとある出会いでこの問題を解決することになりました。
そのキーワードとなるもの
それが
「観点の問題」です。
そしてこの観点の問題とそれを解決する問題解決が
新しい価値を生み、第2の高度成長という浪漫へとつながっていくのです。
もし同じような悩みを抱えている方いれば
是非お話しましょう!
最後まで読んでいただきありがとうございました!