ふつーの男が浪漫の具現化に挑戦するまで~幼稚園まで編~
こんにちは。
第2の高度成長という浪漫を具現化するshibuです。
今日から私の過去の話を通して、なぜ第2の高度成長という浪漫の具現化に挑戦するようになったかを書いていこうと思います。
題して
「ふつーの男が浪漫の具現化に挑戦するまでのストーリー」
幼少期
私は両親と姉が2人おり、末っ子長男として兵庫県に生まれました。
どんな子供だったかというならば
ふつーに姉や近所の友達と外で遊びまわっていた子供。
中で遊ぶときは例えば
こんなものや
こんなもの
そしてこんなアニメを見てた記憶が強くあります。
あとクリスマスプレゼントに両親がこれを買ってくれて
とってもとっても嬉しかったです。
そんなふつーの楽しい毎日を送る中で
もっとも強く印象に残っていることは
「お母さんもいつかは死ぬ」
ということを知った時でした。
子供時代、悪いことすると怒るし怖いけど、やっぱり
大好きな大好きなお母さん。いつも一緒にいるはずのお母さん。
あるとき、きっかけは忘れてしまいましたが
人はいつか死ぬということを知りました。
人はいつか死ぬということは、目の前のお母さんもいつかは死ぬ。
それを知った時
お母さんの前で大号泣してしまったのを覚えています。
お母さん死んでいなくなっちゃうの?
その事実、その情景が今まで考えたこともない世界だったので
喪失感のような絶望のような気持ちを強く感じました。
よく遊び、よく笑い、よく泣いて、ある種ふつーの幼稚園児でしたが
時には心の奥底に
「人はなぜ死ぬのか?」
「死ぬってなんだ?」
と疑問をもっていたことも覚えています。
ただ、子供のころというのはそのような質問、疑問をもつことが
多いと思うと、やはりそこまでかわらないふつーの幼稚園児だったかなと思います。
次へ続く
最後まで読んでいただきありがとうございました!